fig1.jpg9月7日(木)13:30から、(公社)関西経済連合会の会議室(大阪市北区 中之島センタービル)を会場に、先端シーズフォーラムを開催しました。

けいはんな学研都市が位置する関西は歴史的な文物が多く、他地域よりも観光(文化に触れる)資源に恵まれています。学研都市建設促進法の公布・施行の年から30年が経過し、130を超える立地機関や施設が有する『知』をより一層融合した新たな価値創造への期待が高まる機運の中、"観光"を切り口に、世代を超えて受け継がれた自然や文化について考えることを念頭に企画したものです。

当日は秋雨前線の影響もあり、ちょうど大雨のタイミングと重なって講師の方々がズボン裾を濡らしながらの会場入りとなりました。参加者数の伸び悩みが心配されましたが、その後雨脚も弱まり、67人の方の来場をいただきました。

(主催:(公財)関西文化学術研究都市推進機構 共催:(公社)関西経済連合会 後援:(国大)奈良女子大学 社会連携センター、(公大)奈良県立大学、京都市歴史資料館、観光学術学会)

  • 講演1:「自然資源の観光利用の経過と今後 ~国立公園などを例に~ 」
    奈良県立大学 地域創造学部 教授 水谷 知生 氏

    fig3.jpg(講演の要約)
    ①「自然資源と国立・国定公園の関係性」
    ②「昭和初期の外国人誘致の動き」
    ③「第2次世界大戦後の国立・国定公園が観光の中核になった時代」
    ④「国立・国定公園のその後と国際的な規範の状況と自然資源との関係性」

    関西地域を例にしても、観光につながる多くの自然資源があり、国立・国定公園の指定地域が重なる。
    国立公園の成立時期である大正・昭和初期では、当時の経済対策の一つとして海外観光客の誘致の議論も踏まえて、欧米の国立公園が参考にされた。日本では狭い国土に由来する公園内の「民有地」の取り扱いに苦心があった。当時の大手新聞社が主催した一大イベント「新日本八景の選定」において、全国各地での組織的な宣伝活動とも相まった「景勝地の人気投票」と「風景に対する国民的な関心の高まり」があった。

    現在の国立公園34カ所、国定公園56カ所につながる、日本の国立公園指定12カ所が、昭和9~12年(1934~1937年)に指定されたものの、間もなく第二次世界大戦に向かい、海外からの観光客誘致から、国民の体力増進への活用に向かっていった時代背景があった。戦後は米国の指導なしには国立公園行政を行うことができないという時代を経て、新たに全国の公園候補地が順次審査・認定される一方、昭和25年(1950年)には、都道府県が管理する「国定公園」の制度も採り入れられ、公園の数・面積ともに拡大し、利用者の数も増え、昭和30年(1955年)頃には、我が国における観光の中核的な存在になった。しかし東京五輪開催を契機に、国立・国定公園内の山岳部道路の開発も進むことで、自然への影響や環境の保護について考え直す必要性も生じたことが、昭和47年(1972年)の環境庁設置につながり、その時期に公園は観光地として陳腐化が進んでいた。

    自然資源保全に関する国際的な考え方が、1970年代の「保全」から、80年代には「持続可能な開発」へと移ろい、ユネスコの「エコパーク」や「ジオパーク」、「世界農業遺産」を一例に、「自然」と「人の営み」が、どのように関係し・影響を相互に与えているのかという視点が重視されてきている。こうした視点も垣間見える、現在も放送されているTVの人気番組が、出演者の個性による面もあるものの、採り上げる土地毎の自然と人のかかわり方について、コンパクトに紹介していることが人気の一つである。「自然」と「人の営み」のかかわりの視点を考慮に入れながら「観光」という事業を考えることが、一つの考え方である。

  • 講演2 「まつりと観光 ~祇園祭の後(あと)祭(まつり)復興を中心に~ 」
    京都市歴史資料館 村上 忠喜 氏
    fig7.pngのサムネイル画像(講演の要約)

    関西をはじめとする「祭り」は、山の麓などにある神社から、ご神体を載せた神輿(みこし)を氏子(うじこ)の住む村や町に巡行するのが基本型となる。行きが「神(しん)幸(こう)祭(さい)」、帰りが「還幸(かんこう)祭(さい)」と呼ばれ、その行き・帰りに、人目を引く華麗な趣向を凝らした「山鉾(やまほこ)」が巡行し、少なくとも650年前には発生していた。この「前祭(さきまつり)」、「後祭」を高度経済成長期に1つにしたが、3年前に49年ぶりに復活したことは、日本の祭礼文化の中で画期的なことであった。毎年、祝日を変えるという時代にあって、祭りを古い形式に戻してきている動きがあり、大きな失敗もなく行われたことについて、ユネスコの無形文化遺産登録の動きとの関連がある。

    「まつり」には、民俗学的には「村落祭祀」と「都市祭礼」の2つの系譜があり、「都市祭礼」は、はじめから見る・見られることを前提とされており、「観光」とは不可分な関係がある。「祇園祭」を含め、各地の"山・鉾・屋台"と呼ばれる祭礼に用いられる出し物は、全国に1300~1500件ほどある。山鉾等は、都市祭礼の最も華やかな造形物であり、江戸時代の芸術や地域産業など庶民文化の総合的な表現の一つとして、現代の"見本市"や"美術館"の機能も合わせ持ち、地域産業や観光と密接な関係にあった。

    1992年の俗称「おまつり法」の成立・施行当時は、産業振興の視線が、従来の土木・建設等の方面から「お祭り」などの賑わいづくりにシフトする側面が強まる一方、民俗芸能の記録・保存について懸念する声が強まっており、「文化財保護」と「観光振興」についての関係者の葛藤があった。民俗芸能の記録・保存に向けて、ある種の抵抗の気概を持ちつつ「無形の文化財の保護」に関する取組が行われた。こうした「無形の文化」について法律面からの保護を明確にしたのは、日本が世界において先駆けであり、ユネスコの無形文化遺産保護の国際条約は、我が国が主導した国際的な枠組みであった。

    fig8.png京都の「祇園祭」を含めた「都市祭礼」は、地域の産業を喧伝するという責務を果たしていくためにも、一般の修理とは異なる方法も用いられている。修理は「山鉾修理(=原本に忠実な復元新調、もしくは原本の修理)」、「新調(=新しいデザインでの新調、もしくは復元新調)」、「小修理(=緊急対応の修理)」の3事業に分けて実行されており、祇園祭の特徴的な修理の考え方は、「新調」であり、祭の精神や流儀、制作の技法など、歴史性を継承することに重きが置かれた事業である。
    祭の時には目立つように山鉾に掲げられる南観音山見送の「龍」の綴(つづれ)織(おり)の新調では、龍の眼に京セラ社が開発した人造ルビーが用いられた。文化財の修理としては異質ながら、具体例として、山鉾行事の中で生まれてきている。祇園祭の山鉾巡行は2009年にユネスコの無形文化遺産の国内推薦13案件の一つとして含まれている。

    fig9.pngユネスコの「○○遺産」には「世界遺産(文化・自然・複合)」「世界の記憶」と「無形文化」の大きく3つがあり、無形文化遺産の認定に際しては、担い手である人間のコミュニティを重視し、無形文化を継承していくプロセスに重点を置いて評価する形に変化してきている。持続可能な開発と両立するもののみ考慮されており、将来を通じて持続できる動きや働きについて検証し、認証されている。一方で、「無形」は「有形」の遺産よりも、各国においてより認識の違いがあり、「歌舞伎」や「人形浄瑠璃」についてはエントリー時に欧米諸国との認識の差が生じている。韓国の端午の節句のダンスを申請した際には、中国が強く反発した。「端午の節句」は、元々は中国が起源の慣習であり、なぜ韓国はそうした申請を行い、なぜユネスコは認めたのかと、両国の関係が悪化し、中国独自に「国家級無形文化遺産」を認定する動きになったり、といった事態を乗り越えて、どのように無形の文化が継承されてきたのかを顕彰するという方向に、認定の基準が変わってきた。

    fig10.png明治期には、市電が通る邪魔になるので山鉾巡行を中止を当時の京都府から行政命令が出されたものの、地元住民や商工会議所、神社等がその命令の撤回にあたり文化財としての調査をして「価値を再評価することを行い、それが現在の山鉾の財団法人の設立や、「山鉾連合会」の設立につながっていった。そして観光客の誘致への尽力や、"すずらん灯"(山鉾が巡行する際は90度横に照明器具を動かすことができる)の開発と導入など、祭りと共存しながらの都市整備が進められた。ユネスコ登録は、昭和の高度経済成長期に合体してしまった祇園祭の「後祭」を、近年元に戻すことに一役買っている。「後祭」の復元については、大船鉾の復活と同時にと取組まれたものの、当初は地元でも必ずしも良い反応だけではなかった。しかしユネスコ登録により町内が沸き立った。こうした登録の持つ意味合いは大きい。様々な関係者の数多くの議論を経て、伝統的な巡行路への回帰や各町内の諸儀礼の復活などが形作られた。「前祭」と「後祭」では、観光客の性質は異なるものの、「後祭」の集客数も毎年安定し、町内の売り上げが伸びる傾向が見えている。

    都市祭礼は観光化と相反するのではなく、共振すること。ただ、明治期に起きたような都市基盤整備や観光開発の考え方により、急激な文化財調査を行う必要も生じる。持続可能な伝承、伝統を作ることと観光の向かう方向を、同時にどのようにうまくコントロールしていくのかを考え、祭りを見る側の知識と能力も高める必要がある。

  • パネリストによる 自己紹介を兼ねたプレゼンテーション

    fig11.png「" Old Meets New "で創造する新たな観光資源」
    株式会社ATOUN 代表取締役社長 藤本 弘道 氏

    「新しいものと古いもの」「人と機械」など、二律背反的な課題の融合は魅力があるとの考えのもと、最新のロボット技術を駆使して、数々の装着型ロボットを開発し、「パワー・バリアレス社会」の実現を目指している。人力車の車夫が「パワーアシストスーツ」を装着してお客さまを案内するという実験的な取組みにも挑戦し、旧来の文化的な品位を下げることなく新たな技術との融合を図ることに心を砕きながら、新たな価値の創造に取り組んでいる。

    「イベント・レジャー・サイトシーイングの地域文化論」
    奈良女子大学 大学研究院 人文科学系教授・観光学術学会 評議員・人文地理学会 理事 内田 忠賢 氏

    fig12.png研究テーマの一つである「YOSAKOI」は、高知県高知市から札幌市に「YOSAKOIソーラン」として伝わり、調査時点では、全国各地や海外において、800カ所以上開催されるに至っている。その意味合いや仕組みを研究しており、高度経済成長期のレジャーランドがその後たどった道筋や、時代が「人を集める」点から、「より観客に楽しんでもらう」という"量から質"への転換の流れについても研究している。
    明治・大正・昭和の初期には、当時の日本人は自然の荒々しさや凄さを愛でる感覚を持合せておらず、そうした感覚を持合せていた欧米人との交流を経て、「日本アルプス」というような見立てをすることで、日本の自然の風景に新たな価値が生まれた。たとえば中山道の宿場町であった「妻籠・馬籠」は、高度経済成長期の波に乗り遅れ、寂れてしまったが、そこに新たな価値を認めた大手の広告代理店と鉄道会社が宣伝を行い、注目されるようになり、地域が元気になった事例がある。
    観光やレジャーを考えるにあたっては、世界とつながっていることや、観光は経済活動の側面も、文化として価値づけていくことでもあることから、持続可能な取組みとしていくことが大切。現代人の価値観は多様化しており、いかにその状況を受け入れていくのか、どのような意味があるのか、またその背景には、どのような物語があるのかということを、常に考え、語らなければ、観光というものは活きては来ないだろう。

  • パネルディスカッション「新たな観光の姿を考える『こんな観光in関西』」
    観光資源の活かし方、最新テクノロジーの活用をテーマに (コーディネーター:内田教授)

    fig17.jpg<議論の要約>

    (発言者・敬称略)
    fig16.png(藤本) 観光は集客という側面もあるが、奈良は観光客を受け入れる宿泊のキャパが未だに発展途上。一方で京都市はどんどん観光客が増えているが、住民目線では、「住みにくくなった」「京都ではなくなった感がある」などの声も聞こえる。経済効果的には観光客を増やせば良いと思うが、しかし増えすぎると、自然や人、街の良さなどの資源や価値が失われる可能性やトラブルも生じる。最適値はあるのかとの思いがある。
    (水谷) 自然保護の観点では、今はそれほど観光客が集中するところはないが、屋久島などの世界遺産登録地では、湿原など、何百年を経て何ミリ成長するといったところに人が入るとダメージがあることは明らかで、施設を作って人の入れるところと入れないところを区分する、というようなコントロールをする。しかし、最適値となると難しい。自然の側面に立てば少ない方が良いことになるが、少なくすることに、多くの方の理解を得られるかというと、これも難しい。実際に自然資源を観光に活用している知床五湖では、クマに対する危険回避も含めて、入ることのできる場所を限定している例や、大台ケ原では、試行的な側面が強いが、多い日でも1日100人しか入れませんというところもある。人数制限の合意を得るのは難しく、合理的な数値は導きにくい。なるべく多く受け入れつつ、ダメージの度合いを考慮して兼ね合いを見つけるのはなかなか難しい。持続可能な形で維持していくという面で、地域住民がどの程度で合意できるか、避けては通れないことでもある。
    (村上) 後祭の復興希望は地元から出た。理由の一つは、祭りのときは都市機能がパンクするからというもの。実は祇園祭はあまり積極的は宣伝をしていない。提灯を出している写真を見ていただいたが、江戸中期頃にどの程度の間隔で掲げるのかなどを街で決めている。後祭で主催者が取組んだのは、3年くらいかけて、露天の屋台を入れないようにし、提灯を復活して景観を復興させた。最適値かどうかは別として、街の当事者は喜んでいるので、当事者としては最適値なのかもしれず、数値化は難しいかもしれない。
    (藤本)人文的な観点では、それぞれの持つ文化の違いはあると思う。外国との文化の違いから、日本文化に触れた時、トラブルが生じるのではないかと思う。最適値はないと思うが、人が増えるとトラブルも増えると予想している。文化の違いによるトラブル回避についての取組があれば教えてほしい。
    (村上) ユネスコ登録に際しては、色々な国際法に適合していることが求められる。一番は「男女平等」。日本の祭りは男尊社会を起源にしており、女性が表に立つことは少ない。伝統を守るとなると女性は入れないことになり、当然ながらその反発がいつもある。インドなどで根強く残るカーストの考えでは、芸能者が低く見られる。こうした人権に関することは法に抵触してくる。遺跡の保存では、先住民との関係にも気を配らなければならない。そうしたことを睨みつつ観光客を呼ぶことを、観光に携わる人は考えに入れて取り組まなければならない。
    (会場) メキシコのマヤ遺跡の保存などに関わっています。遺跡観光を考える際、外国人や地元住民が持つ、マヤ文明のイメージを再現するような取組みをしている。世界的なリゾート地であるカンクーンに近いこともあり、年間200万人も来るという土地柄です。地元の人の感覚では、外国人がマヤ文明というイメージを作り上げ、それに地元がぶら下がるように見受けられる部分もある。京都は何もしなくてもお客さんが来る点では同じでも、地元社会の強さは全く異なる。今日は、「地域」という考えを持って議論がされている点が、マヤでの"地域"の観点が抜けて、周りの人が議論している点と違うと感じました。
    (内田) 「作られる伝統」「発明される伝統」といった、その地域ではほとんど行われていなかったことを、観光客に見せるために、新しく、いかにも伝統があるかのように、芸能イベントとして提示するという方法が、海外にいくつか事例がある。今日のサブテーマに「関西を考える」ということと「最新のテクノロジー事例」もあるので、その点についても考えていきたい。
    (藤本) 平城宮跡でバーチャルリアリティ技術を使い、かつての建物を見せようというものがある。感覚的で珍しいもの好きな方で「これイイね」という方もおられれば、歴史の知識が豊富な方で「旧跡は、なんとなく想像するのが良い」という方もおられる。
    私は「エンターテイメントとしてのシナリオのあるコンテンツならば良いのでは」と考えている面もあるが、京都の下鴨神社近くのベンチャー企業に「チーム・ラボ」という会社がある。ここが神社でイベントを行い集客に貢献しているというニュースを見たことがある。演出は派手目で、今どきの"インスタグラム映えがする"というもの。神社で、喧騒を離れて、思考を深められるのが好きな方もいれば、派手なものが好きな方もいる。二つの意識の両立は難しいと思うが、どちらが正解なのか、疑問に感じているが、京都市の取組みを通じて、どのように感じるか?
    (村上)私は、観光案内所に手伝いに行くこともある。ここで女子高生の方から、「ミッキー鉾はどこですか?」と尋ねられて、案内所のスタッフも分からないということで、私に回ってきてなんだろうと少し考えた。日・月・星の三光をモチーフにした三つの丸印をデザインした紋を「放下鉾」の鉾頭(ほこがしら)に掲げている。この紋を逆さに見ると、ミッキーマウスが連想されるという事らしいが、このようなことは、誰も正式にはアナウンスしていない。これはインスタグラムの世界で出回っている話だけであって、「放下鉾」の町の人も、「なんか最近は若い女の子が多い」という話にもなっている。こうした現実があることを、観光事業者がどのように取り扱うのかわからないが、作られた伝統もオーソドックスになっていくのかもしれない。新しい文化の作り手と受け手という関係性を超えたものが生まれてきているのではないかと、強く感じている。
    (内田) 私は奈良に勤務しているが、公開講座などで地域の方と接する機会も多い。年配の方が多いが、口々に「奈良は京都とは違う」と言われる。「奈良に関心のない人は来てもらう必要はない。」「奈良を勉強してから来てくれ。そういう人なら受け入れても良い。」と大抵の方は言われる。京都の方もおられるが、奈良の方の「京都みたいに、東京に媚びを売らんでも良い。」という意見について京都側からの反論はどうか?京都は、鎌倉・室町以降、観光のシステムができているが、奈良は都であったものの、廃れてしまい明治期には、京都が先に行ってしまっていた面もあったと思うが。
    (村上) よく言われることだが、京都の文化は「チラ見せ」の文化。チラッと見せて、すぐにしまってしまう。このチラ見を毎年少しずつ行うことで、1000年続いてきた。このスタンスを破ると、おそらく京都はダメになると思う。チラ見せの中に、まがい物も混ざっているとは思うが、東京に追随しているというものではないと思う。チラ見せでも、見せる部分が多いというのは強み部分と言えると思う。
    (内田) (話題を変えて)「文化的景観」という考え方がある。観光的価値をどのように考えるのかということを国が取組んでいるが、水谷先生、村上先生のお考えは。
    (水谷)「文化的景観」というものは、文化財保護法に基づいて指定されていて、文化庁が所管する部分になるので詳しくはない。しかし、常々関心を持っている。先ほどの国立公園の話は、日本の国立公園は、GHQの後押しもあり、原始性の高いものを求める方向になっている。しかしそれはそれで良いものの、もっと身近なところに人と自然が一緒にあるという姿に関心を持っている方が多いと感じる。ディスカバージャパンの話があったが、高度経済成長時期に国立公園に足を伸ばした方が結構いて、その揺り戻しのような感覚でディスカバージャパンがあったのではないかと、まさにその世代である私自身も宣伝に踊らされた側かもしれない。公園は公園として、文化財は文化財として、両方があり、その真ん中あたりに「文化的景観」は相当する。最初に文化的景観として認定されたのは近江八幡市の水郷の景観。そこには葦があり、葦を用いた産業があり、そうしたサイクルで人の営みが関わる風景を形作っている、そこに何らかの視線を当てて評価するというものが「文化的景観」の主だった考え方。自然の風景とその中に形作られている人の営みを一体的に評価するということを文化庁が取組んでいる。何か、我々の心に触れ、揺さぶられるのは、やはり大切なものということ。公園は山の奥の方に価値を見出し、人の営みにより形作られた身近な価値を見出す仕組みとして作られており、一つの切り口と思う。
    (内田) 人と環境の物語というものがあるかどうかということと思う。会場からご意見等があればお願いします。
    (会場) 奈良県人だが、戦争史跡は、観光資源になるのか。奈良の香芝市や天理市で戦時史跡の保存活動をしているが、沖縄や長野の松代のように観光に活用できるのか聞きたい。
    (内田) 世界的な視点で見ると「ヘリテージ・ツーリズム」や「ダーク・ツーリズム」という考え方がある。歴史的な史跡や、歴史の暗部だが後世に伝えていく、知ってもらいたいというもの。有名なものは、ドイツの「アウシュビッツ強制収容所」。そんなに沢山のお客さんが行って良いのかと感じる面もあるが、戦争の反省も込めてたくさんの方が訪れる。
    (村上) 戦前の日本でも、旧満州の戦跡を巡るようなものがあった。これは時の政府を讃美するものだったが、若者たちの教育プログラムの連続の中で取り上げるのが適切ではないかと思う。単なる観光としてだけではなく、いろんな議論も踏まえて、意味づけも伴った資源の活用が大切と思う。
    (会場) 京都人だが、「東京に媚びを売っている」との意見に対して反論をちょっとしたいと思う。京都は応仁の乱以降、たびたび戦乱に見舞われ、為政者もよく変わるため、裏と表を使い分けて、時の為政者ともうまくやっていくという知恵がはぐくまれたと思っている。そのため、決して「東京に媚びを売っている」のではなく、上手に東京を利用しているということを、付け加えさせていただきたい。前置きはさておき、地域の文化や自然を守るには、お金もかかるし、人手も必要。観光は、こうした取組みにもうまく融合させることが大事と思う。そのためにも、観光の対象となるもの・ことなどを、より一層詳しく知る・学ぶためにも、情報発信をどんどんと行えば、様々に発生している観光客とのトラブルも減るのではないかと思っている。海外からの観光客にももっと来ていただきたいと思うが、そうした情報発信などのアピールが不足しているのではないかと感じている。
    (会場) 奈良県は、世界遺産が京都よりも多くあるが産業的視点からするとあまり活用されていない感じがする。奈良県だけではなく、全国見渡してもその傾向がある。歴史的に日本の文化は、違うものと触れ合い、摩擦を乗り越えて伝えられてきている。新しいものが古いものとぶつかることにより、全く新しいものが生まれるのではないかと感じている。まったく反対の概念を2つ持ってくると非常に強いメッセージとなると、ある著名なコピーライターが言っていた。産業の側面からも、観光事業も含めて新しい産業が生まれてほしいと思っている。